ドラッグラグと、どうか安らかに。
ドラッグラグ・・・
この言葉を、よくご存知の方もおいでかもしれない。
しかしまた、「 初めて聞いたわ。。 」 という方もおいでかもしれない。
私も、ぼんやりとは理解していたつもりだったけれど、身近でないため(つまりは、身につまされていないため)、さほど気になる言葉でもなかった。
ドラッグラグ と 言う言葉が、はっきり理解できたのは、女医であり、またご自身も乳がんと23年も戦ってこられた この方 のブログを拝見するようになってからだった。
例えば癌を患っておられる方々は、その病状の段階に応じて、抗がん剤の投与治療をされている。
しかし、その病状も進むと(がん細胞が増えたり、つまりは悪化するということ)、日本国内では、もはや投与できる抗がん剤が なくなってしまうという現実が実際にある。
(海外には、新薬も含め、効くとされている抗がん剤がまだ多数あると言われているのに、日本の中では、承認されていない抗がん剤が多いため、国内では限界があるという現実)
先生も、はっきり書いておられるけれど、
〜ここからは、小倉先生のブログから そのまま引用〜
私は、もう、すべて、日本で、手に入る抗がん剤は10年間も、抗がん剤をやっていると、無くなってしまった、耐性になったり、副作用で使えなくなったりで、。。
外国〔特に欧米諸国)では、使えるのに。。
なんべんもいうけど、日本は抗がん剤治療も、こんなに、手術だって進んでいるんだから、すすんでいると、思ってる方がいると思う。 ところが、北朝鮮なみ。
お隣の、韓国は、アメリカと同じです。この差には、怒りを感じます。
そこで、抗がん剤が日本と欧米諸国との、使えるまでの差を、ドラッグ・ラグといい、その解消に力をそそいでいます。
私は、今、抗がん剤をどうしているか?といいますと、個人輸入して、自分でしています。
申し訳ないけど、家で、できる人は医師ならだれでもできます。
私は、最初、腫瘍内科でしましたが、なかよしになった、ナースから、点滴の作り方、注意事項、購入の仕方をおそわり、代行会社から、購入しています。
しかし、本物は、高くて買えないので、ジェネリック(インド製)を購入しています。
日本は、このままじゃ、中国、インドなどに医療もおくれちゃうよ。
ここに記してあるように、先生は、抗がん剤をご自分で輸入して、調剤して投与しておられた。
これは医師である小倉先生だからこそ、出来たということも大きくあろうけれど、この事実には、少々衝撃を受けた。
先生はまた、一般の患者さんへ向けても、こんな言葉を残しておられる。
超有名なガン病院で、もう「貴方に、出す薬はもうないです。病院から、でてください。まだ、少し時間がありますから、お好きなことで過ごしてください。そうして、どうにもならなくなったら、ホスピスにおいでください。」といわれてしまう。
それに、したがって、しまうひと。
なんとかならないかと、病院をまわり、まわり、ガン難民になってしまう。
悲しいね。このままじゃ。
そして、健康な私達に向けても、このような言葉を残され、残念ながら先生の文章はこれで最後となった。
本当に、困っている、進行、あるいは、末期がんの人を助けてください。本腰いれてください。
検診にいって、「あ〜良かった、無事だった」「マンモしてきて、あ〜良かった無事だった」
で、終わらないで、「日本の抗がん剤は未承認薬だらけで、北朝鮮なみにおくれてるんだって」
「それを、ドラッグ・ラグといって、無くなるといいわね」
とこれから、井戸端会議でも、なんでもいいから、話してくださるといいんだけど。
皆さんが知ってくださることから・・運動ははじまる。
病院の腫瘍内科の先生は、そこでは、勉強できないわね。
新しい薬のさじ加減がわからない医者ということでしょ?
外科医は、たくさんオペをすること、腫瘍内科は、たくさんさじかげんをまなぶこと。
先生が、3/19日に死去されたと知ったのは、連休の最終日、インターネットのニュースからだった。
34歳で乳がんが見つかり、仕事をしながら、シングルマザーで子供を育てながら23年間も、病と戦い続けてこられた素晴らしい女性だった。
先生が発信される言葉はもちろん、先生が生きておられると言うことだけで、戦う力や、生きる勇気をもらった人は大勢だろう。
ましてや、今、ご自分が厳しい病と向き合っておられる方々にとっては、先生の存在はとても大きなものだっただろう。
本当に正直で、真っ直ぐで、飾らない言葉が とても素敵な人だった。
発信するにあたり、難しい言葉は一切使わず、ただただシンプルに メッセージを伝える人だった。
本当に偉い人は、大体において、みなシンプルだ。
(特にこんなところでは、必要以上に、難しい漢字を使ったり、調べなきゃわからんような熟語を頻繁に使う人には、少しばかり辟易する時があるから。)
時折、「 お気に入り 」から 先生のページを開き、「 先生は、お元気かしら? 快方に向かわれているかしら? 」 と、少し緊張しながら読み進めていくと、僭越ながら、時には可愛らしい、まるで娘さんのような文体でブログを更新されてる日もあり、そんな時は本当に ほっとした。
3/7日のこの日記が最期になるとは、みじんも感じさせないような、皆々へ向けての力強いメッセージだったが、今こうして読んでみると、やはり先生の端的な文章の中に、さよなら って言葉が込められているような気もする。
健康な私達には、病と向き合っている人々の 本当の意味での不安や、悲しみや、葛藤や、苦痛や苦労など、心から理解するなんて出来るはずがない。
だから、そうそう簡単に 軽々に、「 頑張って下さいね 」 なんて 申し上げちゃいけない時もあるってこと。
先生がおっしゃっていた、病気になって初めてわかること・・・そう、それが本当のところだと思う。
しかし、私達にだって出来ることは何か、あるはず。
今夜、これを読んでくださった方々が、「 ほうほう・・・」 と 思って下さるだけでも、先生が、その命尽きる間際まで伝えたかった、「 皆さん、知ってください 」の意に 少しでも沿えるんじゃないかと思い、大変 僭越ではございますが、ここへ綴ってみました。多くの方と同じように、心から哀悼の意を捧げたいと存じます。